今日は二つのことを書きたいと思います。
一つは、少年少女を雇用したいという会社の社長と知り合わせていただき、その会社がグループで運営される、旅館や船などの職場に見学に行かせていただきました。
社長は、とても魅力のある方で、BOØWYがお好きな方。わたくしもBOØWYは昔、よく聴いていましたので、その曲についても意気投合させていただきました。
少年を住み込みでも、雇用したいと願って、社員寮もお持ちの会社と、どう繋げていけば、子どもにとって良いのか、
また、志を持たれる会社が志を継続されるために、同じ志を持たれた、協力雇用主会さんや職親さんなどに、繋がると良いのか、これから、周囲の方々に、お知恵やアドバイスをいただきながら、模索して行きたいと思います。
また、何より、神様にお祈りします。
二つ目に、子どもを支援していく実際の現場において、子どもが持つ権利とその子を見守り養護していく大人の責任において、葛藤することが少なくありません。
たとえば、学校の単位がやばいのに、夜遅くまでゲームをする。自己管理ができ、単位を取得できるだけの余裕をもって、学校生活を送ってくれているならば、多少、夜遅くまで、ゲームをしていても(たまには息抜きも必要)と思えます。
しかし、進級できるか否か極めて、窮地に立たされていながら、夜遅くまで、ゲームをする。
とても心配になり、注意します。
そして、注意をすると、怒るほうも怒られるほうも気分が悪くなります。
そんな注意の仕方一つで、一歩間違えれば、関係性がギクシャクしかねないくらい、大人を信用できない子どももいます。
その場合、子どもだけでなく、周りの大人にも精神負荷がかかります。
児童福祉施設などで、職員の離職率が決して低くないのは、人が人を育てることの難しさや精神負荷の問題もあります。
適当な仕事で、留年しようがしまいが関係ないと割りきれば、ぶつかることも、職員が悩むこともありません。
しかし、子どものことを真剣に考える職員ほど、悩みは深くなります。
冒頭のタイトルは、援助ホームの全国研修の中で教えられ、心に残った教えです。
一見、諦観的なメッセージに見えるかも知れませんが、この教えは慰めです。
職員が、子どもとの良好な関係だけを求め、向き合わないといけないことから逃げると、一見、関係の良い、子どもにとって「良い兄ちゃん、または、おっちゃん。良い姉ちゃん、または、おばちゃん」を維持できます。
しかし、それは子どもの最善の利益を無視した大人の立場だけを考えた、子どもとの関わりです。
時に子どもと向き合い、注意もし、関係がギクシャクする。
そのとき、職員はへこみます。
しかし、「子どもにとって、良いお兄ちゃんであれると思うな。」
こんな思いをしながら、子どもたちと関わって、頭を悩ませながら、それでも、前を向いてる仲間が全国にたくさんいるんだ!
そうして、子どもの最善の利益を追及しようと自らを鼓舞することも可能です。
話が長くなりましたが、
注意するほうも辛いですね!
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